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  • 執筆者の写真松井重樹

週刊読んDayMonth20200731

更新日:2020年8月1日



「風塵抄 二」

司馬遼太郎著

     1996年04月30日初刷印刷

     1996年05月10日初版発行

中央公論社

   :産経新聞朝刊掲載1991年10月~1996年2月

前夜、元中華民国元首 李登輝さんが亡くなられる報に、彼の著作よりも前に司馬遼太郎が出会った折の印象を書きしたためていた、こちらを手に取り、ページを繰りました。

1993年1月13日・14日と「台湾で考えたこと 公と私」と題して二部構成。


孫文は、中国の近代化を志すにあたり、中国人の「私」についてときに恐怖し、ときに絶望していた。歴世の庶民にとって王朝は「飢えた虎」といわれたように、本質として「私」だった。蒋介石氏が英雄であったことはいうまでもないことにせよ、その王朝が伝統的な「私」であったことは紛れもない。

しかし、大陸からきた人でない本島人(本省人)の李登輝さんが元首に選ばれたのは「公」の意識の芽生えであるかと思える。

クリスチャンである李登輝さんに明治人を思った。新渡戸稲造や内村鑑三の印象と重ねて、武士的なひとがプロテスタントになったことを思った。

「私の魂には、ピュアな純粋な日本人の精神があります」

誤解してはいけない。ピュアな日本人など日本之どこにもいない。日本時代の初等、中等、高等教育をうけたとき、日本人でもありえないほどの知的武士としての知的武士としての教育をうけとったという意味なのである。

​そんな司馬遼太郎をしての印象を、あらためて胸に刻んでの一服の涼となる一冊。このころ、ほぼ月1回の掲載を楽しみにしていたころの我が青春を思い出しました。

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